トリエステには精神病院がない。
病院がなくても、患者を地域生活の中で支えている。
「クライシスの時はどうするんですか?」
日本人の気になるところ。
特に医療関係の人は気になるであろうこの手の問いはよく出る。
トリエステではクライシスをチャンスと見る。
その人のことをよりよく知る機会となり、その経験が彼らの地域生活での支援に活かされて行くと。
「でも、自傷他害の場合はどうするんですか?」
自傷他害の場合でも、検査や診察をして精神保健センターへ行くことが多い。
どうしてもそれが難しいと判断したら入院で対応することもある。
ただしケースは少ないし入院しても数日で出て行くことが多い。
ここで質問者は、ホッと胸を撫で下ろす。
どこまでも聞いて引き出したい「入院。」という言葉。
この手の質問は「クライシスでの対応について。」自分の考えや行動を正当化したい気持ちが含まれているように感じる。
薬でおとなしくさせる。
それでもダメなら入院だなって。まるでそれが当たり前のようにね。
でもトリエステでは、ほとんど入院中心の対応を行なっていないように思う。
それは肌で感じた。
そうならないような仕組み、向き合い方と対応をしっかり確立しているようだった。
しかしそれは制度の違いや支援者とチームの力量にも寄ってしまうけどね。
そもそもクライシスの捉え方が日本とは全然違うし、これはクライシスだよね度(度合い)も大きく幅がある。
トリエステではクライシスをチャンスと捉えるが、日本はクライシスを限界と捉える。
もうこうなったら無理みたいな。
限界は、支援、サポートの意味で、やりようないから薬飲ませて黙らせて、入院させるしかないと。
またクライシスの幅も全然違う。
トリエステでは、大声あげて騒いでても「彼だしね、しょうがないと。」
しかし日本だったら、クライシスだね、入院だよってなるケースもある。
これは、バザーリアと弟子との相談の時の話のこと。
「彼は大声を出さないと生きていけないけど、僕は大声を出さなくても生きていける。それだけだよ。」と伝えていたことにも大きく関わっていると思う。
違いを認めることが根付いている。
そうクライシスへの懐の深さが大きく違うんだよね。
だから対話の時は、日本とイタリアで言ってることと感じてることが食い違っているように感じるんだと思う。
クライシスへの向き合い方と対応方法。
これが、これからの日本の精神保健にとって重要な課題なんだと思う。
これまではクライシスへの対応を含め、大変なことは何でも精神病院に投げてきた。
それが今、精神保健福祉領域の歪みとなって表出してきている。
もう少しクライシスへの対応を含め精神病院へ押し付けるのではなく、福祉の力で地域生活を維持できるように、自分たちが力をつけていかなくてはいけないんだと思う。
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イタリア視察ツアーは、とても良い学びになったし、とにかく楽しかったという話。
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職業訓練プログラムの参加者は22名で、1名が正規雇用されましたよって話。
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