SMSCを立ち上げるまでとこれからのこと。
「いばしごと」というメディアの取材で、自分自身も深く見つめ直す機会になったかなと。
いばしごと ✖︎ NPO法人SMSC https://ibashigoto.net/2019/08/04/smsc/
対話形式の内容ですが、私自身のことSMSCのことがよくわかる内容になっているので自分のブログでも紹介です。
様々な人たちと一緒に育んでいく、みんなのための学校

根本敏宏さんが代表を務めるNPO法人SMSC(Social Mental Support Community)では、「子どもからお年寄りまで安心して過ごせる地域社会の実現」をビジョンに掲げ、茨城県稲敷市を中心に「地域福祉2.0」を目指して活動しています。
大学から福祉について学び始めた根本さん。大学卒業後は、デイサービスでの高齢者支援から社会復帰センターでの障害者支援を経て、精神障害者支援のプロフェッショナルである「精神保健福祉士」取得を目指すことに。その後新しい福祉サービス事業所の立ち上げに参画したのち、自らが代表となりNPO法人SMSCを設立するに至ります。現在は主に精神障害者の相談支援、共同生活援助、就労支援を行うほか、稲敷市内にて自殺対策や生活困窮者支援など、地域福祉に関わる様々な事業を行っています。
そして現在、新たな取り組みとして「みんなの学校稲敷」の開設を進めています。「みんなの学校プロジェクト」は、廃校になった学校を利用して、高齢者・障害者・児童など総合的な福祉サービスと地域の様々な人が交流する場を併設した、多世代・多属性交流型の地域生活拠点を作っていく事業。福祉業界の抱える「縦割りの壁」を超えながら、地域に住むそれぞれがお互いを知るきっかけを作ることで「支え合いの化学変化」を生み出していきます。
東京に行けるならいいかな、から踏み入れた福祉の世界

高校生のころは、福祉ではなくて服飾の世界に行きたいと思っていました。でも、親に服飾の専門学校を受験したいと言ったら、ダメだと。自分は長男ですが、ファッションを学びに東京へ出たら、もう地元には戻ってこないと思われていたみたいです。
服飾はあきらめて、「東京に行けるならどこでもいいかな」と考えてた時に、当時地元の老人ホームで看護師として働いていた母親から「これからの社会は福祉が大事になってくる。だから福祉の世界に進むことも考えてみない?」と言われたのです。福祉を学ぶためなら多少の支援もしてくれると…それもまあいいかなと思い直し、東京福祉大学という学校に進学しました。
しかし、在学中に現場実習を行った高齢者施設では、福祉に対する違和感との闘いでした。学校で学ぶ「福祉」の精神と、現場の実状とのギャップに対する違和感。正直、「福祉業界では働けない」とすら思いました。
違和感を感じたのは、利用者さんとの向き合い方についてです。実習先は比較的大きな施設で、スタッフに対して利用者さんの数があまりにも多かった。一人ひとりが抱える膨大な仕事量に比べて時間が足りず、どうしても機械的な支援になってしまっていたのです。
トイレの介助では廊下に延々と並ばせておく、お風呂の介助では洗って次、洗って次の芋洗い状態…人間同士のコミュニケーションからは遠くかけ離れた現実に、ものすごい嫌悪感を抱きましたね。
卒業前にいろいろなところで面接を受けましたが、就職先として決めたのは地元の小さな高齢者向けデイサービスです。えぇ、卒業後は両親の思惑通り、茨城に戻ることになりました。
就職先は小規模だったので、利用者さんと密に会話しながら接することができました。あの頃抱いていた違和感を無事に拭うことができましたし、やっぱりおじいさん、おばあさんと日々お話しするのは楽しかったですね。
このデイサービスで2年くらい働いたころ、転機が訪れました。身近な人の「うつ」です。気分が悪くなり、体が動かなくなる状態が長く続きました。接し方も、助け方もわからない。でも力になりたいと思って、そのときに知った「精神保健福祉士」の資格を取ることに決めました。精神保健福祉士は、精神障害者支援のスペシャリスト。この資格を取るために、働きながら学校に通いました。
無事に資格を取得することができ、知識もそれなりに蓄えることができました。その人の力になれたかというと、結局そこまでのことはできなかったのですが・・・ただ、せっかく勉強して専門性も得ることができたので、それを活用して困っている人にできることをやろうと決心しました。その後、精神障害者支援のための「社会復帰センター」に転職し、そこで5年くらい働きました。
精神病院での「社会的入院」

そこで働いている中で、日本における自殺者の問題や、精神障害者の「社会的入院」の問題に懸念を抱くようになりました。
いまも、精神病院で入院している人はたくさんいます。普通、入院は治療のために行いますよね。社会的入院は「治療の必要はないけれど入院している」そんな状態をいいます。
なぜそんなことが起きているかというと、「精神障害者が身内にいると困る」という文化が地域には根強く残っているからです。「入院したら出てくるな、戻ってくるな」という家庭も少なくありません。僕が社会復帰センターで働いていた当時、社会的入院患者は日本に7万人ほどいました。そんなにたくさんの社会的入院を病院が受け入れていると、医療費だってバカにならないし、地域や家庭側の人権に対する意識もこのままでいいのかという話になってきます。
茨城県内でもこの問題は深刻です。人口4万人と少ない稲敷市にも、精神病院はなんと3箇所もあります。病床数でいうと約750。この地域は突出して精神病院が多いのです。かつては病床の数だけ入院患者さんがいましたが、今は国の方針もあって、昔と比べると「患者さんを地域社会に関わらせていこう」という動きにはなってきています。
震災をきっかけに地元へ。SMSC立ち上げ

そういった社会問題についての理解が進んできたころ、牛久市の内科医の先生に誘われて、その人と一緒に精神障害者向けの福祉サービスの会社を始めることになりました。当時、実は福祉の仕事を辞めようと考えてはいました。でも、これは面白い話だなと感じて。思い切って新規事業の立ち上げに参画することにしました。2009年の話です。僕にとっては初めて法人を設立し、イチから事業を作るという経験になりました。ここで3年間働きながら、組織の運営というものを学びました。
東日本大震災が起こったのもこの時期です。このとき、地元である稲敷市の地域福祉が遅れていることに危機感をおぼえました。震災被害に遭った精神病院の患者やグループホーム利用者の、地域で生活する術が全然整っていなかった、という状況が浮き彫りになったのです。どうにかしたい。前職での創業経験もありましたし、地元を良くしていくには「僕が稲敷市で福祉サービスの事業所を立ち上げる」というのもひとつの手段として考えられるのではないかなと。
東京で学び、様々な福祉の現場で培ってきた経験をもって、地元稲敷市の地域福祉を良くする。僕のできる「復興支援」としては、こういうカタチがベストじゃないかと思いました。必死に頑張ってやってきたものが、あんなふうにサッと流されてしまう。ものすごい衝撃的な出来事です。あの震災がなかったら独立しようと思わなかったかもしれません。SMSCを立ち上げるきっかけになった、大きな転機となりました。
2011年10月8日に任意団体SMSCを立ち上げて、翌2012年4月4日に特定非営利活動法人SMSC設立登記。いよいよ稲敷市で福祉の仕事を始めることになりました。
区別しない、人として生きていくための支援を

当初のSMSCが掲げていたビジョンは「精神障害のある方が、地域で生活できるようなコミュニティを作って安心して生活できる環境をつくる」というものです。
最初に取り組んだことは、精神障害を抱える方々が病院から出て、地域で生活していくための住まいづくり。「サポートシェアハウスいなしき」という、「世話人」のサポート付きで自立支援を行うシェアハウスを作りました。障害のある方が生活全般の支援を受けながら、共同生活を経て自活していく場所です。すべてのグループホームを合わせると、現在18名の方々が住んでいます。年齢層も20代から60代まで様々です。
こういった場所を作るきっかけとなったのは1冊の本でした。『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』という大熊一夫さんの本で、かつて一緒に事業を行っていた人から教えていただいたものです。タイトルの通り、現在イタリアには単科の精神病院がありません。でも、昔は精神に異常が見られる人たちを牢獄に監禁していた暗い歴史がありました。
人を横に並べてホースで洗ったり、人体実験が行われたりもしていたそうです。でも、「それはおかしい、自由こそ治療だ」と改革を進めたフランコ・バザリアという人がいました。彼の活動があって、精神病院を作ってはいけないという法律ができるに至ったのです。「バザリア法」という彼の名前を冠した法律に則り、イタリアの精神病院はどんどん減っていきました。病院の代わりに、精神障害を抱える方々は「地域に出て、地域の中で支えていく」という流れになっていったのですね。
僕は今でもスタッフに「自由こそ社会に繋がるきっかけになるんだ」と伝えています。うちのグループホームには、家族から愛された経験に乏しい方も少なくありません。だから、グループホームでは温かい家庭のような雰囲気でサポートしていこうという空気があります。スタッフのマニュアルも最低限に留めていますし、入所されている方々に対するルールもあまり無いですね。
主に精神障害者向けですが、就労支援も行っています。「おんらが村」という名前の事業所で、内職の請負や農場運営、地元農家のサポートや便利屋など、様々な仕事を用意しています。関係企業様とのつながりも強く、ゴム製品加工の内職をおんらが村として請け負いながら就労訓練を行い、先方の工場内で実習を経て就職、という流れもできつつあります。これまで2名の方がこの流れで先方に就職しています。
SMSCでは、精神障害者支援のほかにも事業を行っています。そのひとつが子どもの学習支援事業「てらこむ」。これは、生活困窮世帯の子どもたちに家庭学習を教えたり、ふれあいを通して生活訓練を行う取り組みです。目的は「貧困の連鎖を止める」。実は、貧困と精神障害は深く結びついているのです。
精神障害の支援現場で気づいたことのひとつに、利用者の貧困問題があります。貧しい家庭で育った方がとても多いのです。貧困が原因で精神障害を抱えてしまうケースもありますし、逆に精神を病んでしまったことで生活が困窮するケースもある。環境がとても大事なのです。
そして、貧困は連鎖します。親の収入が少ないことで、子どもに十分な教育を受けさせることができず、その子が大人になったときにまた「貧困家庭」を生み出してしまう。これが貧困の連鎖です。この負の連鎖は、どこかで止めなければなりません。僕が「てらこむ」を始めた目的がこれです。
また先ほど話したように、貧しい環境が精神障害を引き起こす原因になることもあるのです。「てらこむ」の対象になる子どもたちの中には、すでにその兆候が見られる子もいます。でも、早い段階ならいくらでも対処する方法が考えられるのです。発達障害の場合なんかも、幼いころから適切な養育を受けさせることで二次障害を防ぐことができうると言われていますが、それと同じです。だから、子どものうちに、いかにセーフティネットに繋げられるかが大事だと思います。
「てらこむ」では学習の支援を行っていますが、素直に机に向かってくれる子は本当に少ないです。そもそも学校に通えておらず、学習の習慣がないというのもあります。幼稚園にも通園拒否をしていたという例もあるくらいです。まずは「てらこむ」に来てもらって、話したり遊んだりする中でこちらを信頼してもらいながら、徐々に勉強に向かわせていく、という感じですね。
満足にご飯を食べていない子も多いです。お腹が空いていると、勉強にも集中できない。「てらこむ」ではお菓子や軽食を用意して一緒に食べる時間を設けているのですが、食事の様子から家庭でも孤食や欠食の状態にある子が多いらしいということがわかってきました。食事を作るところから一緒にやれば、徐々に自炊の力も高められる。そんな思いで、子ども食堂という地域に開放した調理実習の取り組みも始めています。
様々な人たちが交流する場所

現在、茨城県稲敷市にある「旧あずま南小学校」という廃校を利用して、「みんなの学校稲敷」という地域生活拠点を作っています。
SMSCで取り組んでいる就労支援「おんらが村」、学習支援「てらこむ」、まちキッチン「あえる」など、通所のカタチで利用してもらうものを「みんなの学校稲敷」に集めます。また、新たに高齢者介護や児童発達支援の事業も同じ校内で始める予定です。
福祉支援って、児童・高齢・障害と専門領域ごとに支援施設が分かれている場合がほとんど。行政組織も縦割りになっているので、それぞれのプロが関わることが滅多にないのです。でも、先ほど話したように、社会問題はどれも密接に交わり合っているんですよね。障害者の高齢化や、生活困窮世帯の子育てなどは各分野の専門家がつながって「面」のセーフティネットを築いていかないと対応できない。それなら、1箇所に集まって支援できるようにしたほうがいいのかなと考えて、このカタチを設計しました。いわゆる総合的な福祉サービスの拠点ですね。
また、「みんなの学校稲敷」は単なる福祉施設ではありません。地場産品を活用したカフェやマルシェを運営します。グランドや体育館、音楽室や図工室なども開放して、地域で暮らす様々な人が訪れる交流拠点にしていく予定です。
僕がSMSCを立ち上げたときには「精神障害者が安心して暮らせる社会を作りたい」と考えていました。同様に、例えば認知症の支援をしている人は「認知症の人とその周りの人が安心して暮らせる社会」を目指していくと思います。同じように社会をよくしていきたいと志す人たちと話しながら、また様々な支援ケースと対峙するうちに、「みんなが住む社会はどうあるべきかを話し合う場所」を実現できないものかと考えるようになりました。そこはきっと、地域の「支え手」だけじゃなく「支えられ手」も一緒になって話し合える場所なんだろうと。
いや、もっと言えば「支援者」「受益者」なんて分類をなくして、みんながみんなのことを支え合って暮らしていく社会が理想なのかもしれません。例えば「てらこむ」や「あえる」では、高齢者に分類されるおじいちゃんやおばあちゃんたちが子どもたちの学習をサポートしてくれる場面も見受けられます。「おんらが村」の利用者である精神障害を抱える人たちは、便利屋「猫の手商会」という事業の中で、地域に暮らす人たちの草刈りや買い物代行を行うことで、住民の面倒事やお困り事を解決しています。「支え合い」の連鎖を地域の中で生み出していく拠点として「みんなの学校稲敷」を運営していきたいと思います。
石川県に「share金沢」という、ひとつの街のように作られた福祉施設があります。そこには認知症の方向けの支援施設、障害を持つ人が住んだり働いたりする施設、大学生向けの寮、誰もが食事できる店や雑貨屋、温泉、企業のオフィスなどがごちゃまぜに混在しています。視察に行ったときに目の当たりにした「ごちゃまぜ」、これこそが地域社会だと思ったんですよね。「みんなの学校いなしき」を運営するにあたって、ここを一つの目標にしたいなと。
挑戦とコミュニケーションの連続から、新しい価値を生み出す人と

SMSCにはいま18名のスタッフがおります。「みんなの学校稲敷」を運営していくためには、徐々にですがさらに20名くらいの人に来てもらう必要があります。
いろいろな専門知識やスキルを持っている集団にしたいなと思っています。たとえばお菓子やパンが作れる人とか、農家の経験がある人とか。基本的にはチャレンジングな人と働きたいですね。新しい取り組みをしていくことが多いと思いますので、挑戦にやりがいを感じる人にはうってつけの環境かなと思います。
コミュニケーションの多い職場ですが、苦手に感じる人がいてもいいのかなと思っています。職人気質で寡黙な方と、障害を抱える方が一緒に働くことで逆に良い影響が生まれることもありますし。「みんなの学校稲敷」を訪れる人だけでなく、一緒に働くスタッフたちのキャラクターも「ごちゃまぜ」にしたいと考えています。日本人に限らず、様々なルーツを持つ人たちにもジョインしてもらいたいです。
それぞれの専門スキルがあって、お互いにコミュニケーションを図りながら常に挑戦し続ける。そんなチームを作っていきたいです。「みんなの学校稲敷」には常に150人くらいの人がいる状態になると思います。そういった環境だからできる取り組み、たとえば地域の人たちを巻き込んで運動会とかやったらおもしろそうだなと思います。また、外部協力者にファッションデザイナーの子がいるのですが、彼とはいつも「ファッションショーをやりたいね」と話しています。障害者や高齢者、子どもたち、地元の方々が混ざり合ってランウェイを歩く、ごちゃまぜのファッションショー。こういう企みを一緒になって楽しめる人と働けたらなと思います。
こんな感じで「みんなの学校稲敷」は様々な人たちの交流拠点になっていく予定です。なんせ「ごちゃまぜ」なので、逆に「ふつう」という概念が難しくなってくるかも。そんな環境で対人支援に関わるスタッフには、偏見を持たず、あらゆる人に対して対等に向き合ってほしいですね。