久しぶりの更新になったけど、入院から1年経ったので入院ネタの区切りとしての日記でも書いていこうかなと思う。
気がつけばもう1年経っているし。
まいど思うことだけど、時が経つのは早いんだね。
ちょうど緊急的に入院したのもこのくらいの梅雨の時期だった。
今年は梅雨と感じないくらい雨が少ないようだけど。
昨年はよく病室のベットから外を見ると、雨が多かったからね。(住所が違うんだけど。)
7月に入ると、全国的豪雨が広がり、洪水被害のニュースばっかり見てた。
よく見るニュースはコロナより洪水の話題で持ちきりだったことを覚えている。
それで退院したのは、7月21日(火)の午前中。
その時のことは、「今でもはっきりと覚えている。」と言いたいところだけど、あまり覚えていないw
ただ、妻が迎えにきてそのまま職場(学校)へ寄って、挨拶してから久しぶりの自宅へ帰った。
退院する前は、自分がずっと社会から隔離されている感じがしてたんだけど、どうやらみんなもコロナ禍で、社会活動を大きく制限されている状態だったから、あまり俺と変わらなかったんだなと感じた。(俺の方が少し強めの隔離状態)
入院とか退院の話とかは過去に書いたからこの辺で。
詳細はこちらの過去記事へ。
入院して1ヶ月が過ぎた今考えていること。
入院生活で感傷に浸って場合じゃない。俺はコテコテの油そばが食べたいんだ!という話。
やっと退院します
入院したことでいろいろ考えられたし、とても良い休息になったよという話。
今回の”あれから1年”という内容は、入院と退院を経て感じた仕事や生活、生きることについて、1年経った今どう変化したのか?というところ。
結論から言うと、入院前の状態とあまり変わっていない。
日々やらなくちゃいけないタスクの処理と新たな事業展開は、退院後のブログを見ても、以前と変わらなくやってるし、うちの事業外での仕事も依頼されるし。
正直、生活に支障は出ている。
あれほど整った生活リズムも夜型に戻ってるし、健康的な食生活も以前より乱れている。
結局、いくら反省しても人間はなかなか変わらないということだ。
(勝手に人間代表みたいな口ぶり)
でも意識して変えられているところもある。
まずお酒は飲まない。
これで酔うことがなくなったから、考えたり、話したりと言う時間が確保できた。
それと、忙しくても家族との時間を作ること。
最低でも週1日は出かけたり、時間を共有することができている。
あとは怒ることを少なくすること。
これは特に意識するようにしている。
自分はこれまでを振り返ると怒りをベースに仕事をしていた。
社会に馴染めなかったり、生活に困難な人の支援をしてるからね。
社会にある差別や偏見、理不尽さへの怒りを、社会を変えてやるというパワーに変えて仕事してたんだと思う。
怒りのパワーはとても強い。
途切れることなく放出し続ける。
そのおかげで、ここまで進めてこれたんだと思う。
でも、無限に放出されるパワーは身を滅ぼす。
あたりまえだ。
無限なことは何一つない。
結局は限界を迎え、様々なところから悲鳴が上がる。
自分の持病は特にこの面が強く出ている。
だからこそ、より意識してコントロールできるようにしないといけない。
まあ、イライラしたり怒ってしまったりとかはもちろん今でもあるけどね。
とまあ、結果としては意識して少し変えられているところはあるけど、ほぼ変わらない。
戻ってしまったというところだ。
まとめ
結局のところ何か大きい出来事があれば、大きく何かが変わるということはないらしい。
体験や環境など、何かを変えて大きく飛躍したい人もいると思うけど、結局は自分の意思と行動の積み重ねでしかないのだ。
おしまい。
最後に自戒を込めて。
忙しさにかまけて無視してきた大切な日常。
大切な人との何気ない会話。
一緒に作って一緒に食べる時間。
子どもの成長を考える日々。
おはようとおやすみ。
命あること。共に生きること。
あたりまえの日常を大切に。