今は遠い昔、多分俺が小学生だった頃の話。
市町村合併前の小さな村では村民運動会が行われていた。
様々な競技を地区対抗で競い合い、優勝地区を決める。
うちの地区ではムカデ競争とか玉入れとか野球とか運動会までに練習していた記憶が片隅にある。(記憶は曖昧だけど)
自分は小さかったから、親父に連れられて練習を見に行っていた。
そうそう、夜の小学校ではママさんバレーと呼ばれる競技の練習もやっていたから、子どもながら夜の外出が嬉しくて、一緒に参加していたこともある。
今では、そういう運動会やママさんバレーがなくなり、子ども会やゆさんこうなどなど、いろんな地域の集まりがなくなってきた。
大人へと成長していく中で、ご近所付き合いとか地域のしがらみみたいな関係性が嫌になってきていたから、徐々にそういうことがなくなっていくことにむなしさとかは全然感じなかった。
だけど、子どもが産まれて父親になったことや、より地域に密着した福祉を行うようになってきたことで、運動会とか消防とか子ども会とかの活動が地域のコミュニティ作りには必要なんじゃないかなと今は感じている。
個人の仕事として、市内全域のささえあい活動やコミュニティ作りの促進を行う生活支援コーディネーターという仕事を市から委嘱され、共助の仕組みづくりを行なっている。
その仕事のなかで、市内の各地域のシニアを含むいろんな方々と話す機会も多いんだけど、「運動会がなくなって、地域や近隣の人との関係が少なくなった。」と言う人がとても多い。それは、合併前の各地域でも何人もの人が同じことを言っているんだよね。
それで運動会について少し調べてみたら、お隣の河内町の古い広報誌がヒットした。
(1984/11/15 発行)
http://www.town.ibaraki-kawachi.lg.jp/data/digital_archive/1616833967_doc_4_pdf
「コミュニティ作りに一役」と大々的に運動会を取り上げている。
今より濃厚だった(感覚として)ご近所付き合いがある地域社会でも、運動会などの活動は、まちづくり、コミュニティ作りの重要な役割として位置付けられていたのだ。
なくなったことを寂しく感じてる人も多いから、実際にコミュニティ作りに役立っていたんだろう。
と、ダラダラと話は長くなってしまったけど、
ここで言いたいのは題にも書いたように、これからの地域の支えあい活動を構築していくためにも運動会が必要だって話だ。
地域にはいろんな人が住んでいる。
自分と合わなくて距離を置いている人もいるだろう。
でも、めんどくさい地域のしがらみを許容した先にしか、ささえあいの文化、地域にならないのではないだろうか?
ささえあいの文化は、そのしがらみを乗り越えて、共に何かを作り体験を共有することで生まれていくと思う。
お互いに違いを知り、理解を深めることで、助け合いが生まれる。
また、完全に理解できないし、好きにもなれないって人でも、しがらみがあるから「しゃーない、助けるよ。」って、暗黙の了解でささえあいが生まれる。
思い出してほしい。
好きではない人たち、好きではないイベントでも参加することで、そこで助け合いが生まれていたことを。それは個人の好き嫌いで参加をするか決めていたら、得られない体験なのだ。
現代的に言うと、ネットニュースを見るだけでなく新聞を見ること、ユーチューブを見るだけでなくテレビを見ることに近い気がする。
そういうささえあいの地域づくり、言い換えれば「しがらみの再構築」が1番の解決策が運動会なんだと思うのだ。
うちは学校で荷物を置くスペースもあるし、グラウンドもある。
なので、村民運動会なるものを復活させていきたい。
法人のメイン事業として福祉を行なっているから、彼らの登場も合わせて、それこそ「みんなの運動会」にしていきたい。
村民運動会の復活、そしてみんなの運動会へ。

運動会の開催に向けて、いろんな人の協力が必要です。みなさんに声をかけるかもしれないので、声をかけられた方は、めんどくさいと思いつつも、これがしがらみかと諦めて手伝って頂けると嬉しいです。
参加したいと思ってもらえる方は、是非ご連絡を下記までよろしくお願いします。
最後に、「ささえあい」とか「しがらみ」とか連呼しましたけど、これはある意味刷り込みの一種であり、ささえあい活動の一つですww