【ボードゲーム紹介】「はぁって言うゲーム」がオモシロい!

今年から法人の地域交流事業として多世代・多属性交流型のボードゲームCaffeを運営してます。

自分がやってみて楽しかったボードゲームをたまに紹介していきます。(自分の学びを含めて。)

で、今回は「はぁって言うゲーム」。

「はぁって言うゲーム」って?

ジャンルパーティー
プレイ人数3〜8人
プレイ時間約10〜15分
年齢8歳〜

お題の一言を声と表情だけで表現するパーティーゲーム!

今言った「はぁ」は、怒ってる「はぁ」? とぼけてる「はぁ」?
それとも、感心してる「はぁ」?与えられたお題を、声と表情だけで演じて当て合うカードゲーム!
各プレイヤーは共通の台詞を与えられたシチュエーションで演じ、他のプレイヤーはそれぞれ何を演じているかを当てる。身振り手振りは禁止、声と表情だけで表現する。

大盛り上がりのコミュニケーションゲームなのだ。

「はぁって言うゲーム」のやり方

①プレーヤーにA~Hの同じ色の投票チップ(全8色)計8枚と、投票用カード1枚を配る。

②お題カードの中から1枚選び、テーブルの中央に置く。

③A~Hのアクトカードをよくシャッフルし、各プレーヤーに1枚ずつ裏向きにして配る。他のプレーヤーに見えないようにカードを確認したら裏向きにして自分の前に置く。
(余ったアクトカードは使わない。)

④一番最近「はぁ」と言った人がスタートプレイヤーとなる。スタートプレイヤーは、配られたアクトカードのアルファベットのお題を、声や表情だけで表現する。
(演技するときは身振り手振りは一切禁止だ。)

⑤他のプレイヤーは、A〜Hのどのお題を演技しているのかを推測し、そのアルファベットの投票チップを自分の投票カードに裏向きに置く。一度投票したら変更することはできない。(8人プレイ時は変更OK。)
スタートプレイヤーの投票は「NO.1」の場所に、2番目のプレイヤーは「NO.2」の場所に置いていく。演技をしたプレイヤーは、演じたアルファベットの投票チップを置く。全員の投票が終わったら、次のプレイヤーが演技をする番。

⑥スタートプレーヤーから時計回りで順番に演技をしていき、全員の演技と投票が終わったら終了。

⑨ひとりづつ順番に正解を発表する。
(演技したプレイヤー以外の投票チップをオープンしてから、正解を発表すると盛り上がる。)

⑩正解したプレイヤーは、1点の得点チップをもらう。演技したプレイヤーは、正解した人数×1点の得点チップをもらう。
11全プレイヤーの正解発表を終えたら得点計算をし、最も多く得点チップを獲得したプレイヤーが勝ちとなる。(最多得点が複数いたら、その全員が勝ちとなる。)

やってみての感想

ルールが簡単なので年齢問わず楽しめるゲームかなと。
子どもからシニアの方まで一緒に楽しめるのがいいところです。

うちのボードゲームCaffeでもやりやすいし、家族みんなでやっても楽しめると思う。

お互いの感覚の違いや相手を理解するという目的を持って職場でやってもいいかも。
(理由づけしているが遊んでいるだけというのもあり。)

結構恥ずかしいお題もあるでご注意を。

久しぶりのART観賞。前から行きたかったバンクシー展に行ってきた。

コロナの影響もあってほとんど出掛けてなかったんだけど、前から行きたかったのでバンクシー展に行ってきちゃいましたという回です。完全なるプライベート。

前回はうんちミュージアムでアソビルに来たので今回は2回目。
今回も入り口前で記念撮影。

そして会場の入り口には「風船と少女」のアートがあったので、もちろん作品と同じように写真を撮っちゃいました。

でこっちが本物です。

風船と少女
愛は空中に
ディズマランド

などなど。

最近、プライベート回が多いですが、徐々に仕事外の活動も充実してきたかな。
まだまだ、土日も仕事しなくちゃいけない時も多いですが、今後はもっとプライベートを充実させていきたいなって感じです。

以上。写真を見せる回でした。ほんと写真だけだw
次はもっとマジメなのを書く。

下記にさらにギャラリーあり。


バンクシーって?

バンクシー(Banksy, 生年月日未公表)は、英国を拠点とする匿名のアーティスト(路上芸術家)、政治活動家、映画監督。彼の風刺ストリートアートと破壊的なエピグラムは、独特のステンシル技法で実行された落書きとダークユーモアを組み合わせたものである。

バンクシー『ウィキペディア(Wikipedia)』
バンクシー

ギャラリー

丁寧な暮らしは難しい。

気がつけば早いことで退院してから1ヶ月が過ぎた。

もうすでに家での生活にも慣れ過ぎて、まるで入院していたことがだいぶ昔だったかのように今では遠い過去になっている。

これまであまり大きな怪我も病気もしてこなかったからね。
今回の入院は、これからのことを考える大きな転機になった。
(何度も書いてるが。)

自分の体のこと、家族や仲間のこと。
仕事や生活のこと。
これまでの生き方とこれからどう生きていくかについて。
などなど。

特にこれまでは、仕事と生活のバランスについて「ワークアズライフ」だと思っていた。

ワークアズライフとは、落合陽一氏が提唱する「仕事とプライベートを分けることなく、寝ている時間以外はすべて仕事であり趣味であるという考え方」としています。(ネットで検索するといろいろ出てきます。)

自分も同じように考えていたんだけどね。

ふと振り返ってみると、実際はワークが中心で、単純にライフに目を向けていなかっただけなんじゃないだろうか。
仕事と生活のバランスが取れてるって勘違いしていただけだと思うんだよね。

そもそも自分がこれまで思っていた生活・暮らしってなんだったんだろうか。

ご飯を食べて寝るだけ。たまに運動もする。
そして、ちょっと子どもの世話をするとか。そう、自分のことばっかりだ…
生活を維持していくのに必要なことはあまり何もしてこなかったし、暮らすということに目を向けてもいなかった。

生活に必要なことは人任せにして、自分は好きな仕事に没頭してただけ。
それで「ワークアズライフ」って調子に乗って言ってただけじゃないかって。

振り返って考えると、そんなふうに感じる。

だからこそ、これからは「丁寧な暮らし」をしていきたいなと。

買い物行って料理して、洗い物して掃除して、自分の時間や家族の時間を大切にする。セカセカ過ごすんじゃなく、ゆったりとスローライフで。

入院期間中に暮らし方を振り返り、退院したらそういう暮らし方をしていきたいという気持ちが強くなった。

でも、それがなかなか難しい。

実際に退院してから今まで「丁寧な暮らし」を意識して生活しているけど、なかなか継続できないんだよね。

特に情報量が多すぎてとても疲れる。

入院中はもちろん情報は少ないし、その上で自分なりにSNSやビジネス関連の情報は見ないようにしていた。

でも外に出てしまうと、それだけで情報量が増えるし制限もない。
あれもしたいし、これもしたいって思うから、インプットを増やしがちになってしまう。
けど時間は有限だから、自分にとって必要なこと以外は断捨離していかないと、ただただ情報に翻弄されて忙しいだけの日々に逆戻りしてしまう。

何度も何度も、自分にとって必要なことを振り返り、その都度断捨離していかないと、情報化社会の渦に巻き込まれてしまうんだよな。

丁寧な暮らしを意識し続けること。

それが大事。

これからも不要なものやことは増やさず、便利なSNSやIT機器関連とは距離をとって生活していきたいと思います。(できたら…) 

今後は、SNSでの交流や情報発信は減らしますが、元気にしてますって話でした。

やっと退院します

やっと明日退院します。

長いようで早かった。

入院生活もだいぶ慣れてきて楽しく過ごしているからね。
正直、少し遅れても今はどうってことない感じではあるけど。

なんだかんだで入院して1ヶ月以上過ぎてる。
これくらい過ぎると、仕事に対する焦りもほとんど無くなっているし。
まあ、なんとかなるだろうと。

今回、急遽入院することになって、たくさんの方から激励の言葉を頂いた。

「根本さんは働き過ぎです。この機会にゆっくり休んでください。」

そういう言葉をたくさんの人から頂いた。

ただただ、ありがとうございます。

感謝の言葉と共に「やっぱり働き過ぎだったんだな。」と。
みんなにそんな風に見られていたんだな〜、とつくづく感じた。

走り続けた8年間。
身体の悲鳴を聴かずに無理してきた日々。
今思うと、休息するには1ヶ月半は必要だったんだな。

おかげで精神も気力も満ちてきた気がする。
ただ体力は落ちているので、それはゆっくりと戻していこうと思う。

本当にこのタイミングで休めて良かったなと思ってる。
サポートしてくれたみんなに本当に感謝しています。

思えば入院当初はとても不安だった。
先生たちの緊急対応。救急車での転院。
検査検査の日々と服薬、点滴などの安静対応。

肝機能の著しい低下によって、
「身近な人に移植が可能な人がいますか?」と何度も質問された。
「肝臓移植の必要があるかもしれない。家族に血液等聞いておいて。」
妻は自分の肝臓が使えるなら使ってと。
弟にも聞くしかないのか…。そして親にも……。

他人の臓器をもらってまで、はたして生きる価値があるのだろうか?
大切な家族の臓器をもらう価値があるのだろうか?
必死に考えていた。
人はあると言うだろうけど俺はないと思うんだ。考えても答えは見つからない。
(ちなみに今回、肝臓移植の必要はなくほぼ原状回復です。)

そもそも、これまでどれだけ自分の身体の感覚を無視してきただろうか。
肝臓移植の必要性も考える必要があると言われてから、意識的に自分の体に向き合うようになった。

毎日の血液検査と血糖値の検査。
体温と脈拍、血圧の検査。肝生検、肝臓と心臓のカテーテル検査、MRI、CT、レントゲン、心電図などなどの検査を行って体の状態を詳しく知った。
入院生活によって心音が遅いということ。朝の血糖値が低いことを知った。
血糖値は朝が70~90くらい。お昼から夜に120~170くらい。
1日の脈の変化が70〜140くらいまである。
不整脈あり。脈の波も多い。 血圧は通常で安定。90〜130。
肝臓を含めた内臓の状態。足先から指先までの感覚。心音や脈の状態。体全体のこと。

体が感じている感覚と思考として感じている感覚の状態の調整をする。
心と体のコミュニケートをしているような感覚だ。

身体に薬剤が入り全身に行き渡る感覚。
それによる身体の変化と感じる感覚の変化。
入院生活を通して、意識的に向き合うことで身体と心の調整が今になってやっと取れてきた感じだ。

ただ、入院生活が長くなると身体の感覚がおかしくなるんだよね。
適性に管理された病院内の温度調整、空気、匂いなど。
社会との遮断によって、自然の感覚が全く分からなくなる。
雨の匂いや夏の香り、肌に感じる自然の体感など。
久しぶりに散歩した時は、ジメッとした梅雨の体感も雨に濡れる感覚さえも新鮮で気持ち良かったけどね。
普段は感じないことだけど、こういう時はこのくらいのあたり前のことでさえ幸せに感じるんだ。

入院生活が慣れてくると時間ができるから読書はだいぶ捗ったのは良かった。
積読の消化が一気にできたし。
ずっと読みたかったホモサピエンス全史(上・下)を読んで、ホモサピエンスとしての人のこれまでとこれからにつて考えて、「死」とは何か を読んで、生きること死ぬことについて考えた。死を意識することで生のありがたみを知った。

人は何かを失うことを意識して必要なことを見つけられる。

そしてこれまでの自分の生活について振り返り、医療と福祉の重要性を学んだ。
死ぬかもしれない。移植の必要性によって、医療の大切さやチームへの信頼感、ありがたさを知った。 生活を続けられること、治療が継続になるかもしれないことによって福祉のありがたさも感じることができた。
福祉という仕事をしていること、やっていることの意味や続けることの必要性と大切さとかね。

あとはね、これだけ休ませてもらったからね。
仲間の大切さも改めて感じた。仲間の力量と安心感。チームの素晴らしさと任せられることの喜び。 信頼できる人たちがいること。 本当にたくさんの人の助けで生きていられること。
そんなこんなをたくさん悩んだし考えた。
それら全てが良い時間だったし、良い体験になったと思う。

入院生活はもう慣れた。

5時に起きて読書をする
6時には顔を洗って、ファミマでコーヒーを買ってきてロビーでまた読書
8時に朝ごはんを食べて
9時からは、メールチェックしてネットで情報収集したり仕事したり
12時には昼食を食べて
13時からは体力回復のための公園散歩して仕事して
帰ってきたらシャワーを浴びて読書したり映画を見る
18時には夕食を食べてテレビか映画を見て
10時くらいに就寝する
とても健康的で規則正しい生活だ

人の環境適応って凄いね。
もうすでに入院生活はホームであり、実家での生活はアウェイなのだ。
だから退院することに焦ってはいないw

そうそう、思い出したよ。
自分が法人を立ち上げてまで創りたかった社会って。
今では御大層なビジョンを掲げているけど。

俺自身の未来
両親の未来、妻の未来
そして子どもの未来
自分の身近な人たちの未来をちょっとでも良くしたい
昨日より今日
今日より明日を少しでも良くしたい

たったそれだけだったんだ。

長くなりましたが、以上。
最後まで見てくれてありがとうございます。


入院中に読んだ本とオススメ

ホモサピエンス全史(上)https://amzn.to/32uGmnC☆☆☆☆☆
ホモサピエンス全史(下)https://amzn.to/32p3Mee☆☆☆☆☆
「死」とは何かhttps://amzn.to/2Wt5SpK☆☆☆☆☆
東京改造計画https://amzn.to/30l8NBP☆☆
経営者は一冊の手帳にまとめなさいhttps://amzn.to/2WuWOAE☆☆☆
ハートドリブンhttps://amzn.to/2DUgreZ☆☆
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振り返ってみると結構読んでるのね。

特にオススメ

入院して1ヶ月が過ぎた今考えていること。

急な体調不良によって、入院してから早1ヶ月が経とうとしている。

顔と目の色の黄疸によって、周りから肝臓が悪いんじゃないかと指摘され、さすがに自分でも体の変化にヤバイと思い通院したら、病院の看護師と医師がてんてこ舞いになって、急遽の入院が決まった。
容体は思ったほど良くなかったらしく、そのまま県内の大きな大学病院へ緊急搬送されて、入院治療が始まる。
点滴と服薬、絶対安静という治療によって症状は緩和。
地元の病院へ転院して、1週間様子みたら退院だねっ感じだった。

この辺までは前回も書いた。

しかし、状況は急変して数値がまた悪くなった。
急いで救急車によって大学病院へ逆戻りして今になる。
そこからは、点滴と服薬と安静という治療と様々な検査の繰り返しという生活だ。
もう入院して、1ヶ月が経とうとしている。

入院すると時間が増えるからね。
いろいろなことを考える。

まず1週間で退院できると思ってた時は、やってもやっても終わらない忙殺される仕事のタスクをどう処理仕切るか?を考えていた。

明日にはこれを終わらせないと。
それを終えたらこれだ。
来週までにはこれを考えてこれを終わらせないと。
今、それらの仕事が終わらずに過ぎ去ってみてもどうってことなかった。
終わってなくても状況は何一つ変わらなかった。

案外、仕事ってそんなものなのかもしれない。

自分にとってはその瞬間が絶対に必要でやるべきなんだけど、その仕事が終わらなくても会社は普通に回っている。

自分自身でキツくしてるんじゃなかろうか?
自分自身で自分の期待値を上げて、自分で勝手に苦しんでいるんじゃないか。
足るを知る。
なんとなく、そう考えると気が楽になった。

さすがに1ヶ月も強制的に休ませられるとね。
焦って生きなくても、仕事は回るし、会社も回る。寂しいけど。
もちろんだけど、社会は通常運転してる。

気張らなくていいね。
ゆっくり行こうか。
って気持ちになったよ。

忙しさにかまけて無視してきた大切な日常。
大切な人との何気ない会話。
一緒に作って一緒に食べる時間。
子どもの成長を考える日々。
おはようとおやすみ。

命あること。共に生きること。

それだけで人生十分なんだろう。

SNSによって、みんなに自分自身を知って欲しい欲求は強くなる一方で、本当に欲しいものって目の前のあなたに気にしてもらうことだけなんだなと思うんだよね。

自分が働くことの意味をもう少しきっちり考えて、丁寧に生きることも合わせて考えていかないといけないね。

てゆ〜か、入院生活で感傷に浸ってる場合じゃないんだよ。

あ〜、とにかく早く退院して、俺はコテコテの油そばが食べたいんだ!