新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

毎年、昨年の振り返りと今年の抱負を書いてたんですが、なんだかんだで忙しく書くのを忘れてた…
それと、今年の抱負も考えていなかった。

とりあえず昨年も無事に過ごせてよかったなと。それだけです。

それで今年の目標は、

「無」

です。

何もないというのもあるけど、無心で目の前のことに集中してこなしていく。
それが今後につながるように思っています。

以上です。

改めて、よろしくお願いいたします。

地域のつながりやコミュニティの希薄化を解決していくには運動会が必要だ。

今は遠い昔、多分俺が小学生だった頃の話。

市町村合併前の小さな村では村民運動会が行われていた。

様々な競技を地区対抗で競い合い、優勝地区を決める。

うちの地区ではムカデ競争とか玉入れとか野球とか運動会までに練習していた記憶が片隅にある。(記憶は曖昧だけど)

自分は小さかったから、親父に連れられて練習を見に行っていた。

そうそう、夜の小学校ではママさんバレーと呼ばれる競技の練習もやっていたから、子どもながら夜の外出が嬉しくて、一緒に参加していたこともある。

今では、そういう運動会やママさんバレーがなくなり、子ども会やゆさんこうなどなど、いろんな地域の集まりがなくなってきた。

大人へと成長していく中で、ご近所付き合いとか地域のしがらみみたいな関係性が嫌になってきていたから、徐々にそういうことがなくなっていくことにむなしさとかは全然感じなかった。

だけど、子どもが産まれて父親になったことや、より地域に密着した福祉を行うようになってきたことで、運動会とか消防とか子ども会とかの活動が地域のコミュニティ作りには必要なんじゃないかなと今は感じている。

個人の仕事として、市内全域のささえあい活動やコミュニティ作りの促進を行う生活支援コーディネーターという仕事を市から委嘱され、共助の仕組みづくりを行なっている。

その仕事のなかで、市内の各地域のシニアを含むいろんな方々と話す機会も多いんだけど、「運動会がなくなって、地域や近隣の人との関係が少なくなった。」と言う人がとても多い。それは、合併前の各地域でも何人もの人が同じことを言っているんだよね。

それで運動会について少し調べてみたら、お隣の河内町の古い広報誌がヒットした。
(1984/11/15 発行)

http://www.town.ibaraki-kawachi.lg.jp/data/digital_archive/1616833967_doc_4_pdf

「コミュニティ作りに一役」と大々的に運動会を取り上げている。

今より濃厚だった(感覚として)ご近所付き合いがある地域社会でも、運動会などの活動は、まちづくり、コミュニティ作りの重要な役割として位置付けられていたのだ。

なくなったことを寂しく感じてる人も多いから、実際にコミュニティ作りに役立っていたんだろう。

と、ダラダラと話は長くなってしまったけど、

ここで言いたいのは題にも書いたように、これからの地域の支えあい活動を構築していくためにも運動会が必要だって話だ。

地域にはいろんな人が住んでいる。

自分と合わなくて距離を置いている人もいるだろう。

でも、めんどくさい地域のしがらみを許容した先にしか、ささえあいの文化、地域にならないのではないだろうか?

ささえあいの文化は、そのしがらみを乗り越えて、共に何かを作り体験を共有することで生まれていくと思う。

お互いに違いを知り、理解を深めることで、助け合いが生まれる。
また、完全に理解できないし、好きにもなれないって人でも、しがらみがあるから「しゃーない、助けるよ。」って、暗黙の了解でささえあいが生まれる。

思い出してほしい。
好きではない人たち、好きではないイベントでも参加することで、そこで助け合いが生まれていたことを。それは個人の好き嫌いで参加をするか決めていたら、得られない体験なのだ。

現代的に言うと、ネットニュースを見るだけでなく新聞を見ること、ユーチューブを見るだけでなくテレビを見ることに近い気がする。

そういうささえあいの地域づくり、言い換えれば「しがらみの再構築」が1番の解決策が運動会なんだと思うのだ。

うちは学校で荷物を置くスペースもあるし、グラウンドもある。

なので、村民運動会なるものを復活させていきたい。

法人のメイン事業として福祉を行なっているから、彼らの登場も合わせて、それこそ「みんなの運動会」にしていきたい。

村民運動会の復活、そしてみんなの運動会へ。

運動会の開催に向けて、いろんな人の協力が必要です。みなさんに声をかけるかもしれないので、声をかけられた方は、めんどくさいと思いつつも、これがしがらみかと諦めて手伝って頂けると嬉しいです。

参加したいと思ってもらえる方は、是非ご連絡を下記までよろしくお願いします。

最後に、「ささえあい」とか「しがらみ」とか連呼しましたけど、これはある意味刷り込みの一種であり、ささえあい活動の一つですww

資本主義と社会主義の間に存在するみんなの町。そんな感じのコミュニティを作っていきたい。

廃校になった小学校の再活用と社会福祉法人化。

これまでそこを目指して活動してきたことが実現した。
まだまだ開発途中だから、完璧にはほど遠い状態なんだけども。

でも、自分の中では大きな目標を達成したというやり遂げた感があった。
今でもある。
だからだと思うけど、最近なんとなくぽっかりと穴の空いた感じがしてたんだよね。

以前、みんなの町を作るってブログに書いたけど、それはなんとなくできそうってだけで、明確な目的意識はなかったのかもしれない。なんとしてもやり遂げるという熱い思いとか。
書いただけで、特に何も動いていなかったし。

昨年の入院とその後の療養生活にかまかけて、ダラダラしてただけかもしれないけど。でも振り返ってみると、ただただ時間だけが過ぎてしまったな〜という後悔がある。

何か明確な目標とか強い目的意識が自分の中で見つからなくて、大きな穴になってふわふわしてたんだよな。多分。
めんどくさがりの人間が何かやろうとするには、安西先生が言う「断固たる決意。」ってのが必要なんだ。

日々やらなくちゃいけない仕事とか、大きなこと出来事が目の前で動きつつも、気乗りしない毎日がただ過ぎてくだけではあったけど、最近、次の大きな目的、やりたいと思うことがなんとなく見えてきた感じがする。

それは、この本を読んだことがきっかけでもある。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

(まだ、サラッと読んだだけだから、これからさらに読みこみたいと思う。)

資本主義を脱して、エネルギーや生産手段など生活に不可欠な《コモン》を自分たちで共同管理する「脱成長コミュニズム」に進まなければならない、という点にとても共感した。(その他もいろいろ共感したけど)
《コモン》水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指すこと。

前回書いた「みんなの町」をまるまる作ってしまおうという計画(みんなの町プロジェクト)は、簡単に書くと、子どもからお年寄りが利用できる福祉サービスや教育と医療、そして住宅や交流・娯楽施設・お店など、そこのコミュニティに住めばふつうに暮らせる町を作るというもの。

市みたいな広大な規模じゃなく、もっとギュとコンパクトにしたやつね。
だいたい東京ドーム2〜3個分くらい。これならなんとなくできそうな感じするよね。
やったことないからわからないけど。

これまで考えていた町づくりは、福祉サービスを中心に町があるようなイメージだったけど、そこに資本主義と距離をおいたコモンを取り入れて、住民自治を進めてければ「みんなの町」っぽいよね。

そういうことをやっていきたいと、強く考えるようになってきた。

そもそも、社会的弱者の枠に入ってしまう人たちは、資本主義経済の社会にはそぐわない。
そういう人たちをサポートして、今の社会に適応させることも必要かもしれない。
でも、難しい、無理だよねってなった時、もしくは諦めている人でも、そうじゃない社会もあったら、はじかれる人も少なくなると思うんだよね。

Plus ultra ”もっと先へ”

だったら、そういうコミュニティを作ればいい。

資本主義と社会主義の間に存在する《みんなの町》

そういうコミュニティが、いろんな地域にいろんな形でできていったら面白いな。

これが次の目標であり、自分のこれからの道標だ。

無駄だなと思うこともやってみた方がいい

これまで作ってきた点が、徐々に今線としてつながってきている。

みんなの学校プロジェクトとか地域福祉への取り組み、支援事業とか関係者の拡がりにとかとか…

最初から意識して作ってきた訳ではないけど、あらかじめ準備していたかのように。

でもまあ、そんなものなのかもしれない。

時間を大切に。
効率的に。

徹底的に無駄を省いていくことが大事だとは思うけど、それでできたスキマは、今やっていることとか目的に直結しない別のことをやるという選択も必要だよね。

副業もそう。
遊びでもそう。

特に遊びは、良いアイデアや取り組みが斬新な形で生まれてくるからとてもいい。

その時は無駄な点かもしれないけれど、いつか線につながるから。

だから、無駄なように見えることや「なんだよこれ非効率じゃん。」ということでも、あえてやってみるほうがいい。
そこから得られるものもきっとある。

それら全てが今へ続く一つのストーリーになっている。

今年やってたボードゲームも子ども・障害者・高齢者がごちゃまぜに交流できるツールになった。

側から見れば遊びだけど、交流を作るという仕事になっている。
(俺は遊びだけど笑)

来年度もボードゲームを含めて、遊びを増やしていきたいな〜。

今回は、「無駄に見えることでも無駄じゃないよ。」という話をすることで、遊びを正当化して、これからも遊びをやっていきますという話でした。

何かを変えるのは熱意でしかない

稲敷市の自殺対策の取り組みをNHKが取り上げてくれたみたいですね。

前回の茨城新聞での記事も今回のNHKの記事も、この協定に至るまでの経緯に携わっていたのでうれしい限りだ。

警察と行政の連携、さらに関係機関やNPOを含めた連携になると全国初。
なので、注目されるのは当然としても、たくさんの方に知っていただくことで、この取り組みが全国的に広がっていくとさらにいいと思う。

取り組みがこのような形になるまでには、実は5年ほどの歳月がかかっている。
その過程はざっくりと書いてるので、興味のある方は下記を読んでね。
(ほんとざっくりね)

過去記事

「稲敷市の自殺をなくす。」ことを目的に関係機関と連携した取り組みになるまでには、自殺予防の広報をしたり、ゲートキーパーを学んだり、他機関の自殺対策の事業の話を聞きに行ったりなどなど、いろいろな活動をしてきた。

多分、覚えている範囲だけど…

自殺対策は、全国的な課題なので他市や他機関等、様々な形で対策を検討しながら、進めている事だと思う。
それでも対策を大きく進めることができないことの理由に、個人情報保護という問題がある。

これは福祉でもそうだが、他機関等と連携した支援をしたり、情報共有する際には個人情報保護というのがいつも大きな壁になる。

今回の協定に至るまでにも、この課題が大きな壁となり、結果5年を費やすことになった。

それでも乗り越えることができたのは、関係者の「熱意」だったんじゃないか、と思っている。
何度も関係機関で個人情報の壁をどう乗り越えるかを検討してきた。繰り返し。
(そのほか行政の方々の動きをすべて把握している訳ではないので、個人的な見解。)

それに関係者の何人かは、友人や知人を亡くしている。
そのため、この課題に対する想いはとても強かったんだと思う。

「自殺者を亡くしたい。」

その思いが交錯し、熱意が変革へつながったんじゃないかなと。

自分もこれまでいろいろな事業やサービスを作ってきた。
障害者福祉に始まり、子どもの学習支援、子ども食堂にみんなの学校。

特に頭が良いわけでもなく、お金があるわけでも、2世でもないし支援者(バック)がいるわけでもない、ただの凡人だ。

そんな自分でもいろいろやって来れたのは、熱意があっただけだ。

その熱意が人を呼び、その仲間が変える原動力になる。

計画をしては反対され、実行しては失敗して、それでも何度も計画しては実行していく。試行錯誤とチャレンジの繰り返し。とりあえずやってみる。

「何かを変えるのは熱意でしかない。」

これからも熱意をもって、いろんなことにみんなでチャレンジして行きたいと思う。

今回もこの協定に至るまで楽しく参加することができました。
そしてこれからが辛いとは思うけど、それでもきっと楽しい。

ありがとうございます。