5周年記念イベントを終えて

無事に5周年記念イベントを終えました。
バタバタして、今までお礼できずにすいません。

来ていただいた皆様、サポートしてくれた皆様、そして作ってくれたスタッフ、本当にありがとうございました。

皆さまのおかげで無事に終えることができました。
ありがとうございます。

法人設立日は、2012年4月。障害福祉サービス事業の指定日が2012年の7月。
なので事業開始して、ちょうど5年を迎えてイベントができたのは良かった。
法人としても自分としても、スタッフにとっても大きな区切りになりました。

「そういえば、そろそろ5周年か~。なんかイベントしたいね!」

という自分のワガママから始まった企画。

そもそも前からやりたいとは考えてはいたけど、ノリで考えて動いてしまうから、実際にやってしまったよ。自分でも驚きだ。
スタッフにとってはそれ以上と思うけどね。

多動なので、いつもこんな感じで始めてしまいます。

準備期間が3カ月くらい。
イベントは前に1回やっただけだし、そもそもイベント慣れしていない。
そんな中、スタッフは支援という通常業務に追われながらも、必死に準備を頑張ってくれました。
いつも多動な自分のわがままにつき合わせちゃってすまんね。
それでも付いてきてくれて、ここまで仕上げてくれてありがとう。

今回のイベント。
特に講演会はもっと人を呼びたかった。でも思っているほどではなかった。
人を呼ぶのは難しいね。福祉の人たちも研修慣れしているから。
もっと手の込んだ仕掛けが必要なんだろうな。
それに、必要なニーズにどれだけ届けられたろうか?
このマッチングも上手くいっていなかったように思う。

それ以外にも準備期間が短かったことや、スタッフの力量等もあるとは思うけど、大部分は自分の責任だろう。

まだまだ影響力がないってこと。ここは大きく改善していかないといけない。
もっと頑張んないとな。

スタッフのためにも、もうちょっと結果出したかったなと反省してます。

でも、今回のイベントで良かったのはスタッフの成長。
自分はほとんど関わっていなかったからね。
登壇者と演者の方々との連絡くらいだ。
忙しい中、ここまで仕上げてくれたことが嬉しくてしょうがない。

任せられた方は、自分で考えて行動して、失敗してまた次の行動を考える。

「自分で考えて行動する」という最もシンプルなことが人を大きく成長させる。

しっかりシンプルに行動してくれたね。
本当に忙しい中、頑張ってくれた。
みんな本当にありがとう。
これからもよろしくです。(多動は変われませんが…。)

そして最後ですが、忙しいのに駆けつけて頂いた藤田孝典様、武楽座の皆様、そしてGOMESS様にも感謝しています。

ありがとうございました。

これからもSMSC一同よろしくです!


講演・イベント写真ギャラリー

茨城新聞に載せて頂きました。
NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田さんと。
5周年記念パーティーにて。

5周年記念を迎えて

今年の4月で無事に5周年を迎えました。
これもひとえに皆様のサポートのおかげだと思っております。

ここ2年で運営の方がだいぶ楽になりました。
自分の出張が多くても現場は問題なく回してくれるし、ギリギリの資金面を脱出できたのも精神的な安定につながっているかなと思う。

でもせっかくだから振り返ってみるけど設立から3年は本当に大変だった。
借金に借金を重ねて、短期間で法人を大きくしてきた。
だからメンタル的にはキツかった。

なんで借金を重ねてまで急いで大きしてきたのか?

これは、平成18年4月に施行された障害者自立支援法にひとつ関係がある。

その当時は精神障害者社会復帰施設で働いていて法律の切り替えの時期をここで体験した。これまで運用されていた精神保健福祉法と、施行された障害者自立支援法では制度の中身が大きく変わる。特に、3障害の1元化や公費負担から自己負担。社会福祉法人のみならずNPO法人等も参入可能となるなど。
大きく変わった。

障害者自立支援法について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/jiritsushienhou01/

だから施設内はとてもバタバタしてた。
とくに上の人たちが…。
「どうすれば、どうすればっ。」って感じで。

自分はこの法律を見て、介護保険法と同じだなと感じていた。
ここに勤める前は高齢者のデイサービスで働いていたからね。
同じようになって行くんだろうと感じた。
法律の変更がそのひとつ。

でもこの時は独立しようとはぜんぜん考えてなかったけどね。

その時くらいに、上の人と運営方針とかいろいろ折り合いが悪くなったきた。
いろいろピリピリしてたからね。
上司も疲れてて、自分も疲れてしまったっていうのもある。
それで5年勤めた法人を去ることになった。

でも、辞めた後に良い出会いがあった。
とある院長先生と出会い、福祉サービス事業所の立ち上げに携わらせてもらうことができた。
制度改正で民間も参入できるようになっていたこともあり、株式会社で通所の福祉サービス事業所を立ち上げた。その後はグループホームも。
やる前は知識がほとんどなかったんだけどね。
自分で必死に勉強して、なんとかついていってこなしていた感じかな。
ここで教えていただいた精神関係の知識、そして立ち上げさせていただいた経験が今も生きているんだと思う。
そこで3年働いてから独立することになる。
(辞めてから、感謝の言葉を言ってないけど、自信がついたら言いにいきます。)

院長先生とはいろいろケンカしてたんだけどね。辞めたのはそれが理由じゃない。
未熟な自分が就いていけないと感じたこと(これが大きい)、家族を養うためとか、地元に貢献するためとか、辞めた理由はいろいろ重なっている。
それらに悩んでいる時に、地元で福祉サービス事業を立ち上げようと考え始めたわけだ。

でも、金もないし。実績もたいしてないし、バックもいない。

なので、必死で考えた。

自立支援法で感じた障害者福祉は、高齢者福祉を追っている。
だから同じことが起きるということ。

そして自立支援法の制度改正があったことで障害者福祉サービスは民間も参入できるようになった。もちろん、これは高齢者福祉の方が先だけどね。
サービスに民間が参入できるようになると、高齢者の福祉サービスは爆発的に増えた。だから障害者福祉サービスも同じように増えていくだろうと。

今後、障害者福祉サービスは爆発的に増える。そう爆発的に増える。
それを考えて5ヵ年戦略を立てた。

今後生き残っていくためには、地域での地盤を早くに作ること、他の法人に負けないサービスと資金を作ること。

それがぜったいに必要だと。

そんな風に考えていたのが急いできた理由なんだよね。

で今になって、予想は的中している。
爆発的に増えているからね。準備を早くしといて良かったよ。
まあ安泰ってわけじゃないけどね。

5ヵ年戦略では、他の県に進出する計画だったんだけどね。
そこまでは上手くいってない。まあそれはしょうない。

今は別の戦略で動いているから。

でも急いで作ってきたのは、個人的な予想に対応するためでした。

以上。

てゆうか、書こうと思っていた内容と話がそれてしまった。
次回は、「設立から3年は本当に大変だった。」件について書いていきます。

ここからはお知らせです!
皆さま大変お世話になりました。
感謝の意を込めて5周年記念イベントを開催します。

〇貧困問題について考える無料講演会
~「普通」の暮らしがしたい~ 先の見えない「貧困世代」のリアル
茨城大学水戸キャンパス 講堂 12:00~15:00 定員300名 参加費 無料
〇5周年記念パーティー
水戸京成ホテル 16:30~19:00 定員50名 参加費 8,000円
party開始 17:00  party終了 19:00
partyにはスペシャルゲスト2名と、お料理・お酒を準備してお待ちしております。
是非、参加してくださいね!

申込は下記のコクチーズより。もしくはお電話ください。TEL 029-893-3456
http://www.kokuchpro.com/event/smsc5/ 

福祉 2.0

福祉 2.0 とは何か?

最近いろんな分野で2.0って聞くようになったので、福祉のことで考えてみる。

福祉も30年問題もあり大きな転換期にある。

制度的にもそうだけど、サービスや支援のあり方も大きく変わっていく必要があると感じている。

これまでの精神保健福祉は、精神障害者の私宅監置(自宅にて監禁すること)に始まり、精神病院での治療(私宅監置から保護治療へ)が始まる。
その後、精神病院や障害者の調査が行われて、様々な制度の転換を経て、精神衛生法が成立。私宅監置を廃止・禁止した。
それからも変化をし続けて、治療から社会復帰までの政策が提言されるに至った。

*歴史については、かなり端折って書いているので、そのつもりで読んで欲しい。

徐々に拘束することから、開放・社会復帰へと転換していった。

しかし、ここで問題が起こる。
1964年にあったライシャワー事件だ。

1964年(昭和39年)3月にアメリカ大使館門前で当時19歳の統合失調症患者にナイフで大腿を刺され重傷を負った。この時に輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し多くの日本人から賞賛を浴びたが、この輸血が元で肝炎に罹る。その後、これがきっかけになり売血問題がクローズアップされ、その後日本において輸血用血液は献血により調達されることになる。この事件は「ライシャワー事件」と呼ばれ、精神衛生法改正や輸血用血液の売血廃止など、日本の医療制度に大きな影響を与えた。(Wikipedia より引用)

この時に「精神障害者を野放しにするな!」というマスコミのキャンペーンが行われた。

魔女狩りの始まりだ!

社会への開放から隔離へ。

世界は開放に向かう中、日本は病院、施設収容が増えることになっていく。

それからも制度変更は行われるが、1970年に始まった小規模作業所運動開始。
これが大きな転換期だと思う。

施設収容から地域へ。

偏見が多い中、先代の支援者たちが社会と戦い、より開けた福祉制度の設立へ邁進した。既存の制度が生まれることになった活動だ。

ここまでが、福祉1.0(これは自分の視点ね。)

なんでこの話をするかっていうと、最近ライシャワー事件時代から作業所を運営し、現在も当事者支援をする団体の代表や職員の話を聞いたからなんだよね。

現代とはレベルの違うほどの偏見を受けながらも、当事者と支えあいながら活動を続け、現在の制度の礎を担った人たち。
凄すぎるよね。
当時の話を聞いたら感動したんだ。俺にはできないだろうねって、普通に思った。

そしてその代を引き継ぎ、現在の障害者総合支援法という地域移行の制度にまで発展させてきた世代。
この人たちが今、地域福祉の先頭を走り、舵取りを行っている。
この世代までが、福祉1.0 なんだと思う。

ちなみにこれは茨城県での話。自分の印象だけど。
43~47歳くらいの人たちが担っていると思う。
他の県では特色が変わるかもしれないけどね。

その発展してきた地域福祉の次の担い手である僕らの世代。

これからが、福祉2.0 なんだと思う。

これからを担わなくちゃいけない世代。

ITやIOT、ビックデータにAIなどなど。
技術作新が進む昨今。
それらを活かして今後の地域福祉をどう作っていくのか?

それぞれが問われるところだ。

自分が感じている福祉の問題点は、当事者や支援者、その家族や知人、それ以外の方が地域福祉の現状をほとんど知らないことなんじゃないかと思う。

共生社会と叫んでも、実際の社会とは大きな断裂が生じていること。

あなたは、地域にある福祉事業所を知っていますか?

多分知らないよね…。
必要になるときにしか関心がいかないから。

でも、福祉は公共のものであってみんなが必要なもの。

これから必要になるなら早く知った方が良いし、それを知らないからこそ、接点がないからこそ偏見になってしまう。

知られていない現状は何故なんだって思うけど、それを作っているのは、自分を含めた福祉関係者によるところも大きいと思う。
情報を発信していない福祉の村社会。社会から隔離された福祉の閉鎖社会。
学校文化にも近いことが言えると思うけどね。

その情報の垣根の打破が、断裂を生んでしまう距離感の打破につながる。

だからこそ自分はどんどん情報発信をしていきたい。

それに、より開けた社会政策となるような活動を行う。
それがおんらが村構想。

他の県ではやっているところもあるけど、障害、高齢、子ども、地域の人々、みんながあたりまえに交わる空間を作っていく。

そのごちゃまぜなコミュニティが、これまで空間を分けられてきたことからくる距離の断絶を紡ぎ、知らないことから生まれる偏見の打破につながると思うんだ。

それが自分にとっての 福祉2.0 であり、やりたいことなんだ。

稲敷市は自殺対策に本気で動き出すぜ! part2

2014年の4月に稲敷市自立支援協議会に委嘱されて副会長になり、その中の専門部会であるライフサポーター部会の部会長となった。

ライフサポーター部会は、稲敷市市議会委議員の竹神さんが稲敷市の自殺についての現状と対策を一般質問して、自殺対策を行うことを目的に作られた専門部会こと。

部会に関わってから早3年。

長いようで早かった。

他の部会メンバーと協力して取り組みが大きく動き出すのでとりあえずのご報告を。

2016年1月より、稲敷市自殺予防プロジェクトが始まった。

これは、自殺未遂者・企図者の支援がもっとも必要だと考え、救急医療機関に運ばれてくる患者さんが、処置の後に悩みを話せるように、稲敷市の精神保健福祉士が相談に行くという取り組みだ。
そして、個々の悩みや状況に合わせた支援先とのマッチングを行う。

稲敷市の近隣にある7つの医療機関と連携して行ったこのプロジェクトで、1年間で1件の実績が出た。
緊急搬送されてきた患者さんの相談を市の職員が行い、支援先につなげて現在も自殺再企図することなく安定して生活している。

これはとても嬉しいことで、少ないけど確かな実績だ。

そのため昨年の後半より、このプロジェクトをより発展させ、確かなものにするために、県の事業である自殺未遂支援・連携体制構築事業に乗せようという動きになった。

県の予算・市の予算を申請して、無事に通ったということで、今年の4月から稲敷市自殺未遂支援・連携体制構築事業として始まる予定です。

自殺未遂支援・連携体制構築事業は、茨城県内初の事業なんです。凄いよね。
*ちなみにこれは、市の職員Hさんの貢献が大きい。一応書いときます。

そのため、自立支援協議会のライフサポーター部会は事業として昇格したので終了です。

またそちらでの活動が始まったら報告します。

ちゃんと動き出しましたね。
ん〜、感慨深い!

2015年3月4日水曜日に書いた過去記事。

【総括】イタリアでの思い出

時がたつのは早いね。

イタリアの視察ツアーから帰ってきてもう1ヶ月が過ぎる。
今思い出しても、その余韻は残っている感じだ。

はじめてのイタリア、初めての海外での誕生日、素敵な仲間たちと過ごしたこのツアーは、とてもいい学び、良い思い出として残っている。

まずこのツアーの参加者だが、ソーシャルワーカーが一番多かった。
一応、自分もその括り。
そして、作業療法士や看護師に看護大学の准教授、精神科医や精神病院の事務長など多彩な人たちであった。

ツアーは11月15日から24日までの10日間で、トリエステ・ヴェローナ・アレッツォ・ヴァルデキアーナの4カ所の視察研修ととてもハードな内容だったが、ちょいちょい自由行動もあったので楽しめたと思う。

仲間との余暇が最高に楽しかった。

ちょいちょい空き時間があると、おじさんたちで集まって飲みに行くパターンができた。夕食はみんなで食べに行くから少しかしこまるけど、気の合う数名で夕食前に「0.5次会」に行く。

「じゃあ、0.5次回行こうか?」っていうのが決まり文句になってた。

そして話は変わるがイタリア人はいろいろ長い。

ゴールの見えない講義、ゴールの見えない会食。

当時は超絶辛かったけど、それも今思えば良い思い出だ。

「0.5次会」、「ゴールが見えない」というが、旅での流行語でした。

そんなこんなでツアー以外も充実していました。

ツアーで学んだことについてはこれまで書いてきた。


以下、簡単なまとめ

各州内にある地域の地域医療事業体(ASL)において精神保健サービスが配置。
地域精神保健センターを中心に、総合病院内の精神科救急病棟、デイケア、リハビリテーション施設、グループホーム、労働組合などと連携。

チーム構成は多職種で、精神科医、看護師、心理士、福祉士、作業療法士、リハビリテーション技術者、教育職、事務職から構成。ただメインは、精神科医、看護師などの医療従事者が6割。

イタリアの凄いところは精神科医療者も白衣を脱いで当事者と向き合い、医療モデルではなく、生活モデルで対応していること。精神科医も貧困問題、家探し、職探し等も一緒に行っている。

医療モデルか、生活モデルかというのが日本との大きな違いだと思う。


精神保健福祉領域のざっくりとした違い

日本をイタリアにするのは可能か?
ん~、すぐには難しい気がするね。

イタリアは精神病院をなくしたが、精神科医や看護師を中心としたチームが地域に降りて、そこでのサービスを作り中心を担ってきた。
仕事や労働者を地域へとスライドさせた感じかな。
しかし日本は、精神科病院をもったまま福祉サービスが展開され、どちらの量も増えてきた。だから精神科病院も福祉サービスも多い。
イタリアと同じようにすれば、多くの精神科医療のチーム(看護師が多い)の仕事がなくなる。医療チームが地域で支援するスタッフとなるなら、多くの福祉関係者の仕事がなくなることになる。どちらにしても困る人は多い。

それに日本は病院も福祉も民間が多い。
大きな方向転換は、様々な機関が潰れる可能性があるので反論も多くなると思う。
うちも大きな変更に対応できるほどの体力はないからね。

では無理なのか?

先輩たちの貢献もあって、精神保健福祉領域では「病院から地域へ」と徐々に政策が進んできた。
それゆえ福祉サービスが増えて、精神科病床数も減ってきていると思う。

この流れを緩めないように、進めていけば徐々にではあるが近づいていくんだと思う。

精神病、疾患を持っている方が地域で生活していける仕組み、サービスを作り、どんどん良い効果を生めるようになればもっと良くなっていく。

だから、今後も良い状況を作れるように頑張って作っていきたいな~、と改めて感じた旅でした。

以上。

結局、ざっくりとした内容だけど。

おわり。


イタリアギャラリー


その他イタリア視察記事

これはクライシスだよね。

クライシスへの対応を含め精神病院へ押し付けるのではなく、福祉の力で地域生活を維持できるようにして行かないといけないという話。